スティーブ・ジョブズ氏とモーツァルト
アップル社のトップ、スティーブ・ジョブズ氏が亡くなりました。56歳でした。
今書店に行くと彼に関する本がたくさん並んでいます。現在i Padなりi Phone等は日本だけでなく世界中で常識になりつつあり、パソコンに至っては今や各家庭に一台と、テレビ・冷蔵庫のようになっています。
私がヨーロッパにいた20年前の国際通信手段は高い電話代を支払うか手紙だけでした。
ようやくFAXが出はじめ、ずいぶん感動した記憶があります。その時と今とを比べると、IT産業はこの20年で驚くべき進歩です。
ただ今携帯電話を買い換えても、私などは新しい機種に慣れるまでに大変な時間がかかってしまいます。
やっと慣れた頃には調子が悪くなっていて、仕方なく機種変更みたいなことを今でも繰り返しています。
店に行けば今持ってる機種はもう店頭に影も形もありません。こんなに次々と新しいものが世の中に出回ってくること自体何かちょっと変だと思ってしまうし、そのスピードの変化に正直こちらの頭がついていけなくて大変に困ります。
この技術の最先端を舵取りをしていたのが、アップル社のスティーブ・ジョブズ氏でした。
たぶん彼がこの分野にいなければ決して今のような状況にはなっていない、と思うのは私だけではないでしょう。
もちろん彼に代わって違う人物が舵取りをしていたかも知れませんが、また違ったことに当然なっていたと思います。
それほど彼の存在や功績は大きかった。しかし今の時代で56歳とは早すぎる死です。
彼のことを思うとなぜかモーツァルトのことを考えてしまいます。モーツァルトは35歳という若さでこの世を去りました。
当時でも若い方に属しています。同じ時代のベートーヴェンは56歳。やはり35歳は若すぎます。
まだこれからという時です。私自身35歳で何か残せたかと聞かれればノーです。
まして天才といわれた人物です。もっと何かを残したかったのではないかと思います。
この10月、松本で行なっているモーツァルト全52曲の交響曲シリーズの3年目が終わり、ようやく23曲の交響曲を演奏しました。初期、中期、後期とまんべんなく演奏していますが、やはりどの曲も天才を感じます。
一つ一つのフレーズ、和声、構成に光があるのです。私はジョブズ氏の生み出したMacやi Pad、i Phoneにはモーツァルトと同じく光があると思うのです。他のものにはない何かがそこにあります。それは天才と呼ばれた人にしか創造できないものなのだと思います。たぶんジョブズ氏は将来今よりもっと大きな夢を持っていたに違いありません。
もちろん彼に対しての個人的評価は様々だと思いますが、事実世の中が変わってきていることは確かなのです。
実際このエッセイも私はパソコンを使って書いています。彼が考えたマウスを使って。
ということは彼には大いに感謝しなければなりません。
ただ進歩だけを手放しで喜んでいるわけにはいかないと思います。たぶん失ったことや、失いつつあるものも多くあるはずです。それが良いことなのか悪いことなのかは今の私には分りませんが、近い将来我々の次の世代やその次の世代が決めていくことだろうと思います。
モーツァルトは天才がゆえ後世に残りました。ただ同世代の作曲家のほとんどは残っていません。
スティーブ・ジョブズ氏の残してくれた考え方や智恵、そしてi Phone等の製品はどこまでモーツァルトの作品ようにいつまでも輝いていてくれるのか、そして世の中がどのように変わっていくのか、いまから数十年後が楽しみです。