節目(ふしめ)

​2019年11月29

今年もあとひと月になった。毎年この時期になると一年を振り返るのだが、今年2019年は「特別」だった。先ずは別れが多かった。特に身近にいた大切な人たちが、突然居なくなってしまった。特に今年はつらかった。それから続けて関わってきたことが、10年や20年と記念イヤーになった。あと久しぶりの客演も今年は多かった。それからデビュー20年にもぶつかった。ひとつの山というか、関所というか、旅の途中だが、振り返る良い機会になった。

まず告別だ。一番は松本でのモーツァルト交響曲全曲演奏を一緒に頑張ってきた牛山正博さんとの別れだ。二人で考えた企画だった。うまくいく時いかない時、誉め合ったり励ましあったり。彼は決断も早かった。そしてよく二人でお酒も飲んだ。面倒見も良く、甘えられる存在だった。だから本当に辛い。松本に着く度に少し気持ちにポッカリ穴が空いてしまう。

10年の記念イヤーは毎年恒例の宇奈月音楽祭、松本でのモーツァルト交響曲全曲演奏会がそうだった。
20年は軽井沢でのワークショップだ。20年は本当に驚きだ。良く続いている。今年はあの長野の台風にもぶつかり、余計に思い出深いワークショップになった。

色々書いたが本当に節目という年なんだと感じる。でもあっという間だった。まだまだ先があるけれど、振り返るには良い機会になった。
新しいプロジェクトも動き始めている。振り返りながら前を向いて進んでいきたい。
あと大切なことは「身体を最優先」そして「すべてに感謝」この二つを思い来年も日々を過ごしていければ、と思う。 
 

オリンピック

​2019年7月10日

先日オリンピックの入場券の再抽選が話題になった。
私も家族と一緒に幾つかの競技を申し込んだ。結果は
全てハズレとのことで少し期待していただけに残念な気持ちになった。再抽選にチャレンジしようかと思っている。

前回の東京オリンピックは1964年。1964年は私が生まれた年だ。東海道新幹線の開業も同じく1964年。日本の高度成長時代にあたる。あれから55年近くが過ぎ、再びオリンピックが日本で開催されることは、
前回とも比較できるし、比較されるだろう。

それより日本の文化や技術を世界に発信できるまたとない良い機会になる。海外に数年間住んでいたときに、

やっぱり日本はよい国だと思ったことが本当に何度もあった。日本に住んでいると案外分からず、
見えてこない。だから今回のオリンピックは日本の良さをアピールできるチャンスだと思うのだ。
もっとこの国の人たちは日本という国を誇りに思って良いと感じることが多い。何故か外国が良いと思っているふしがちらちら見え隠れしている。私からみれば他の国々の人たちは愛国心が半端なく強い。それを外国に住むと、とてもよく感じる。日本は美しい国である。そして国民はとても優しい心をもっていると思う。秩序もある。
色々な国に行ったが、なかなか日本の様な国は少ない。だからこそオリンピックを通して海外にアピールしていきたいものだ。もちろんまだまだこの国は改善しなければならない問題点は山ほどある。だが我々国民がしっかり考え、対応し対処していけば良い方向に必ず進んでいくはずだ。私はこの日本の能力を高くかっている。
我々の子供たち、その次の世代にはもっと素晴らしい国になっていると、私は思うし、信じている。

来年のオリンピックはそういう点で、次のステップになる大きなイベントになるにちがいない。

太陽の塔

​2018年11月25日

12月22日に神戸にある甲南大学のオーケストラに客演指揮をすることになっている。その練習が昨日あった。翌日が大阪マラソンということでホテルは何処も満室、なかなか宿を確保するのは大変だった。そんな中、万国博覧会が大阪に決まったというニュースが飛び込んできた。大阪出身者としてはうれしい限りだ。幼い頃、親に連れて行ってもらった記憶がある。何回行ったのか覚えていないのだが、アメリカ館の「月の石」だったり、みどり館だったりとうっすらとだが、ニュースを聞いて思い出した。でもヤッパリ強烈だったのは太陽の塔だ。高槻に引っ越してからエキスポランドに遊びに行くと太陽の塔は健在で、あの姿を見るたびに幼い頃の万博を思い出していた。岡本太郎の名前も何となくその頃覚えたと思う。
そしてなんといっても印象的だったのは、あの太陽の塔の中の不思議さだった。
らせん階段で人が下から上に登っていく。まわりには人類の進化の様な展示物が至るところに沢山飾られていた。幼いながら上を見上げて感動した覚えがある。
スケールの大きさだったり、大きな恐竜の像だったりと、思い出せば思い出すほど本当に懐かしい。今回の大阪万博もそんなビックリするようなパビリオンや建物が登場して、こども達だけでなく、大人も充分楽しめる万博になってほしい。せっかくだから是非訪れたいし、心から楽しみたいと思う。今からワクワクしている。

アイネ・クライネ・ナハトムジークの謎

​2018年9月6日

モーツァルトの代表作品であり、クラシックの中でも最も有名な名曲、それが「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。
来月10月14日の松本でのモーツァルト全曲演奏会で演奏するのですが、謎が多い曲なんです。
モーツァルトはこの曲を自分の作品目録(自作品カタログ)に書き込んでいるのですが、そこには五楽章と書かれています。
現在アイネクライネといえば、有名なアレグロ、ロマンス、メヌエット、アレグロの4つの楽章で演奏されています。
楽譜もそれしか出版されていません。私が持っている自筆譜のコピーも四楽章しかありません。
ただその自筆譜にはページの数字が書かれています。
1、2、4、5、6、7、8です。そうです、3ページ目がないんです。カタログをみると、どうも その部分にはメヌエットが当たるのです。
そうなんです、アイネ・クライネにはもう一曲メヌエットが存在していたのです。このことはあまり演奏者の多くは知らないので、お話するとビックリされます。

それではそのページはいつ無くなったのでしょうか?
モーツァルトの妻コンスタンツェがモーツァルトの死後、自筆譜を沢山売却しました。その中にアイネ・クライネ・ナハトムジークはありました。
ただその時にはもうすでに無かったというのです。沢山の自筆譜に紛れてしまったのでしょうか?
ですからコンスタンツェの手元から離れた時からアイネ・クライネは四楽章だったのです。

それから謎はまだあります。いつ演奏されたか手がかりがまったくありません。
モーツァルトは父親レーオポルトが生きていた頃は手紙に何を演奏したとか、今は何を作曲しているなど手紙に書いていたので、結構演奏した日付等が分かっています。ただこのアイネ・クライネだけは、レーオポルトが亡くなったあとの作品の為なのか分かりませんが、記録的なものが全く残っていません。完成の日付はカタログにも自筆譜にも残っていて「1787年8月10日」とハッキリしています。
モーツァルトが生前どこかど演奏したとすると今も見つからないメヌエットが演奏されていたのです。どんな曲なんでしょうか?
考えるだけでワクワクします。今も研究者たちはどこかにあると信じ、探しています。
もし見つかったらあのアイネ・クライネ・ナハトムジークのことです。世紀の大発見になること間違いありません。

皆さんも見つけたら私にこそっと教えて下さいね。

松本・モーツァルト

​2018年5月14日

 ゴールデンウィークのなか日、松本で10年前から始めたモーツァルト交響曲全曲演奏会の第22回が終わりました。あと10月の演奏会の2曲で交響曲全52曲を演奏したことになります。「長かったか?」と聞かれると、「あっという間」「そうでもないと思う」だけれど、色々思い浮かべるとやはり10年は「長い」とやっぱり思います。今回のメイン曲は交響曲第41番「ジュピター」。50曲ほど演奏してきた経験から言うとやっぱり凄い曲です。初期、中期の交響曲はやはりモーツァルトがずいぶん昔のスタイルに基づいて書いた作品、どの曲も注文通りに書かれたのだろうと思わせるものばかりです。逆に言うとモーツァルトらしくないと感じてしまいます。いつも初期、中期をオーケストラと練習しているときに、「この曲、本当にモーツァルトかな?」とオーケストラにも疑問を投げかけていました。それがどうでしょう。ジュピターは宝石の様な響きの連続、同じ人間が作ったとは思えないほどです。ですからジュピターの練習は私にとって宝物を扱う楽しさと難しさが混同した名曲なんです。

 後期の交響曲はそれぞれ違ったスタイルを持っていてそれなりに聴き応えはあります。そしてやはり39・40・41番この連作は別格であり、特に41は全てのバランスがとれた特別な曲だと感じます。たぶんジュピターしか演奏していなければ、この凄さには気付かなかった様に思います。作品的に不充分なものはやはり演奏しにくいもので、演奏者も指揮者も苦労して仕上げなくてはなりません。ですから未熟な作品は難しいのです。モーツァルトの交響曲の中にも「えっ」という曲は本当に沢山ありました。ただ原石の良さはあります。それを引き出すのも我々演奏家の仕事です。ただジュピターの様な名曲にはすでにピカピカ輝く光を持っているので、それをどう魅せるかが我々のもうひとつの仕事になります。

 この10年はその価値を理解するための時間だった気がします。この全曲演奏会で私のモーツァルト感が大きく変化しました。モーツァルトが以前より身近に感じるようになりましたし、それなりのスタイルを持てるようになりました。

 今年の宇奈月モーツァルト音楽祭のオペラは「魔笛」です。モーツァルト晩年の最高傑作をいかに楽しく素晴らしく見せ、聴かせるか。この10年の経験を舞台にぶつけるつもりです。宇奈月の「魔笛」を楽しみにして頂きたいと思います。

オーディション

​2018年3月21日

 毎年9月に開催している、宇奈月モーツァルト音楽祭。前々回からオペラを取り上げ少しずつだが、本格的な舞台を目指し、まずはハイライトから始めた。

 第1回は「ドン・ジョバンニ」第2回の昨年は「フィガロの結婚」そして今年は「魔笛」に挑戦する。開催にあたり、今年はキャストをオーディションで決めることにした。

 募集あたって、条件を決めなくてはいけないが、今回はやりたい人ということで、年齢や音楽歴など全く関係なく広く募集をかけた。不安はあった。本当に応募が来るのか?どんなレベルの方が来るのか?心配は沢山あった。でもふたをあけてみると、全くそんな心配は無用だった。年齢も60歳を越える方もいたり音楽大学を卒業ししっかり、歌手として活動している方もいて、この宇奈月音楽祭が少しずつだが、認知されてきているのと感じた。

 オーディションの様子はここではお話できないが、人を人が選ぶというのは難しいことだといつも思う。皆良いところがあるし、こちらもそんな優秀な人間でもない。でもオーディションで選ばなくてはいけない立場であるから、しっかり選ばさせてもらった。結果、本当に満足できるキャストを選ぶことができた。これから選ばれたキャストと如何に素敵な舞台を作っていくのか。

 これからは私の仕事に大きな責任がある。演出や演奏に更なる磨きをかけ、宇奈月モーツァルト音楽祭の目玉になるよう、努力していきたい。

頑張れ!!

​2018年1月27日

 今大田区の中学生と吹奏楽演奏会に向けて練習をしているところです。

本番は3月4日、会場は大田区民プラザ、メイン曲はリードのアルメニアンダンスです。このコンサートの目的は部員数の少ないクラブに所属している中学生に大編成のダイナミックな響きを体感してもらおう、そして中学生の時から本物に触れてもらいたいと大田区の財団である文化協会が中心となって約半年に亘り私やプロ奏者たちに指導を受け、その成果をコンサートという形で皆様に聴いて頂こうという企画です。

 昨年9月から練習を始めましたが、生徒たちは最初の合奏で音符を目で追いかけることすらできない状態でした。生徒たちは不安だったと思いますが、もっと不安だったのが顧問の先生がたでした。それはそうですよね。どの生徒もそんな長く、ややこしい曲をやったことがなかったのですから、面食らったにちがいありません。

 ただ私はやはり吹奏楽に関わったのだから一度はアルメニアンダンスを「演奏したことがある」とか、「楽譜をみたことがある」「知っている」ことは、とても大切なことなんだと私は考えています。だから先生がたにもその事を理解してもらって、何とか生徒たちに頑張ってもらえるよう、できるだけ先生や生徒たちとコミュニケーションを持つように心掛けました。

 そのお陰かどうか分かりませんが、ここにきて生徒たちの演奏に変化がみられました。「大変だ、分からない、出来ない」が少しずつですが、「やってみよう、出来た、面白い」に変わってきたように感じています。

 あと一ヶ月ほどでコンサートになりますが、生徒たちは驚くべき演奏をしてくれると私は信じています。この様な小さな活動が世間にも理解され、いつか大きな成果となって、日本全国で開催されるイベントに成長していくことを願い、私もしっかり関わっていきたいと思います。素晴らしい中学生達にエールを送りたいと思います。「頑張れ!!」 

こどもたちのための交響歌

​2017年12月12日

 先日、第23回「さが県民第九公演」が終わりました。
今年は高校生の参加や合唱団員も増えたこともあり、ずいぶん評判が良く、佐賀交響楽団の快演もあり私も手応えがありました。     
 ここ数年「さが県民第九公演」では児童合唱団が第九の前にオーケストラと共演する「こどもたちのための交響歌」をプログラムに入れていて、これが好評なんです。
 児童合唱ということですが、幼稚園の園児約120名の大合唱です。ぞうさん・大きな古時計など5曲の童謡を慈恩玲乃さんがアレンジした約25分の大曲ですが、それをみんな覚えて元気一杯歌う姿はもう本当に最高のパフォーマンスで、お客さまだけでなく演奏しているオーケストラのメンバーや私も感動・感動・感動!です。
 幼稚園に直接指導に行ったりもしますが、飽きない様に練習させるのが大変で、各幼稚園の先生方の苦労が良く分かります。
 それでも園児たちはビックリするほどしっかりと舞台を務めます。大人になってもあのステージが記憶の片隅に必ず残っているのではないかと思います。
 第九公演は全国にたくさんありますが、次の世代を育てる意味でも「さが県民第九」がやっている取り組みを全国どの第九公演も取り上げてもらい、人々や地域にたくさんの感動を与えてもらいたいと願っています。
 もしこれを読んで、興味を持たれた方は所属事務所(ソナーレ)にお問い合わせ下さい。喜んでご説明させて頂きます。
 これからもずっとこの「交響歌」が演奏され続け、歌った園児たちがいつか第九を歌う日がくることを本当に願い、「今より少しでも広げる努力をしていきたい」と思った今回の演奏会でした。                 

​同級生

 先日、小中学校時代、同級生の訃報が入ってきた。

 中学を卒業してから一度も会っていなかったが、親同志が知り合いということもあって、折に触れて色々とは聞いてはいた。なので会ってはいなかったが、存在感は心のどこかにはあった。彼は中学時代、同じサッカー部でキャプテンだった。みんなの信用も絶大で小中学校を通していつも彼の側に私はいた。

 小学生の時はいつもみんなの親分的存在で本当に走り回ってクタクタになるまで遊んだ。中学に入ってもサッカー部で一緒だった。そしてなにより一番の思い出は彼の自宅での高校受験勉強だ。

 彼のお母さんが塾の先生だったこともあり、数人を自宅に呼び、マンツーマンでしっかり教えてもらった。そのおかげで希望校に入れた。そんな彼がもういないなんて何か信じられない気持ちなのだ。同級生でほぼ中学まで同じ道を歩んだ。僕が音楽の道を志した頃、彼は演劇に興味をもち、その道に進んでいるとも母を通して聞いていた。

 そんな彼の訃報にふれ、モーツァルトではないが、人の死というものが自分には全く関係のない違う世界と思っていた感が確かにあった。今回の彼のことで全くそうではないことを身をもって感じずにはいられない。

 まだまだ死なんて遠い遠い存在だったはずが、あっとゆう間に隣に゛どん゛と座られた気がする。これからどんどん歳を重ねることでこの様なことが自然と多くなるだろう。

 だからこれまでしっかり活動させてもらっていることに感謝し、今まで以上に「命」そして存在を認識していかなくてはいけないと改めて思う。彼のメッセージは私をまた正しい方向に向かせてくれた、大きな出来事だった。

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指揮者 横島勝人の公式ウェブサイト

Conductor Katsuto Yokoshima Official Website