カラヤンの「トリスタンとイゾルデ」
2011年の春に千代田フィルとの演奏会でトリスタンとイゾルデの「愛と死」を演奏することになっています。
この曲はずいぶん前の話ですが、‘87年にカラヤンがザルツブルグでの音楽祭で取り上げた演目なのです。
ソプラノにジェシー・ノーマンを起用していて、そのときの映像を最近見る機会がありましたが、カラヤンという指揮者の凄さを改めてわかった気がしました。
もう80歳目前という年齢になっていたカラヤン。でも音楽や身体の動き、話し方や人の接し方が本当に素晴らしいのです。
もう技術を超えて人間力で音楽を表現しているとしか思えませんでした。もちろん世間を騒がせた事もありました。
ただあのトリスタンを聞いてそんな事は吹っ飛んでしまうほど、感動的なワーグナーなのです。
ジェシー・ノーマンもとても素晴らしい。あの大きな体格から響いてくる歌声は、あの曲にぴったりで、それが80歳のカラヤンと一緒になって凄まじいエネルギーと、この上ない美しさを表現していて言葉にできないほどです。
付き添っていたカラヤン夫人が映像の中で「歴史的瞬間をありがとう」とカラヤンに話していたのですが、まさに「奇跡的瞬間」だと思いました。
私にはカラヤンの大切な思い出が一つあります。それは大阪にベルリン・フィルがやって来たことがありました。
会場はザ・シンフォニーホールでチャイコフスキーの悲愴がメインのプログラムでした。
私はラッキーなことにチケットを譲ってもらって聴きに行くことができたのです。
もちろんチケット代は払いましたよ。たしか3万円だったと思います。
当時としては破格の値段でしたが、でもどうしてもひと目カラヤンやベルリン・フィル。
見たかったし聴きたかったので払いました。
今では信じられないことですが、なぜか開演に間に合わず1曲目のモーツァルトの交響曲(第29番)の1~3楽章を聞き逃した記憶があるのです。
なぜ遅れたのかは今では忘れてしまいましたが、大失敗をしてしまったのです。
ただ終楽章と悲愴では、あのカラヤンを目の前で見ることができて本当に幸せでした。ベルリン・フィルの名手達に囲まれ、素晴らしい音楽を私の心に残してくれました。
終演後、座席からなかなか立ち上げれなかったことを覚えています。その時の来日公演ですが、調べてみると‘88だったので、まさにザルツブルグの「トリスタン」の次の年に来日していた事が分かり、あのトリスタンと同じ時期のカラヤンを偶然見ていたことがわかって、不思議な感じがしました。
話はザルツブルグのカラヤンに戻りまずが、その当時のカラヤンは自分のことを「おまけ」と表現しているのです。
そうなんです。カラヤンのあの映像を見て「今日一日は神様からもらったラッキーな日」と思って生きているように私には映りましたし、そんな一日をカラヤンはめいいっぱい生きている。そんなザルツブルグのカラヤンでした。
私がカラヤンぐらいの年齢になった時にはどんな風になっているのかはまったく想像もつきませんが、できれば人の前に立ち続け「奇跡」と呼ばれる音楽をオーケストラから導き出し、聴いている人々が「幸せ」になっていく、そんな指揮者を目指したいと思うのです。そしてそうなる努力をこれからはしなくてはいけないと思いますし、そんな気持にさせてくれた80歳のカラヤンの姿でした。